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お知らせ

【シリーズ:体験記⑫】怒りはどこからやってくる? 

2025.8.5

1.怒りの奥にあった「本当の感情」

わたしはずっと、怒りながら生きていました。

「あいつは正しくない!」みたいな感じで。

でも、いまはちょっと違うんです。

以前は怒っていたような状況になったとき、いまは「怒り」ではなくて、「悲しい」「怖い」という感情を自覚します。

怒りは、自分が傷ついて悲しい、怖いという感情が無意識の中に生まれた瞬間に、これ以上傷つかないために相手や出来事を否定する反応として生まれる感情なんだと思います。

じゃあ、なにが「傷ついて悲しい怖い」を「相手が正しくないことを認めさせるために怒る」に変えてしまうのか。

2.「悲しい」が「怒り」に変わってしまう理由

「傷ついて悲しい怖い」を「相手が正しくないことを認めさせるために怒る」に変えてしまうのは、自分のトラウマや劣等感、触れてほしくない傷だと思います。

それらを例えると、わたしの中に住みわたしを襲う野生の猛獣です。

わたしの猛獣は、自分の中に作り出した母でした。

わたしは幼いときから母に否定され暴力を振るわれていました。

だから、母の機嫌を損ねないように、母の中の正しさに従うことを最優先にして生きてきました。

3.わたしの中の「母」という猛獣

母がその正しさを示すときにはもう遅く、そのときはわたしが否定されるときでした。

だから、母の中の正しさを必死に想像し、母の反応を窺っていました。

そんな行動と思考は、わたしにとっての母をわたしの中に作り上げました。

わたしは常にわたしの中の母に従う。

そんな生き方になっていました。

わたしの中の母に従うことが、わたしが生きてもいい条件になっていました。

わたしの中の母に逆らうことは、わたしがわたしから生きる許可を取り上げる行為です。

それは、生きることを自分からすすんでやめることで、恐ろしくて絶対にできませんでした。

4.「怒り」に乗っ取られる瞬間

このような感じで、わたしの中の母が、わたしの猛獣です。

他者がわたしの中の母の正しさと違うことや否定するようなことをすると、わたしの中の母を否定することになってしまいます。

それは、わたしが生きてもいい唯一の条件が間違っていることを意味します。

つまり、わたしが生きてもいい根拠が無くなってしまうんです。

生きることをやめないといけなくなってしまうんです。

このとき、わたしの中に生まれる感情は「傷ついた、悲しい」です。

怒りではありません。

でも、わたしの中の母は自分が否定されたことに猛烈に怒り、わたしの「傷ついた、悲しい」を「怒り」に変えてしまいます。

わたしは、その「怒り」しか自覚できませんでした。

5.怒りの裏側でわたしを支配するもの

「怒り」を自覚したとき、わたしを操縦するコントローラーが私の中の母に奪われます。

わたしの中の母は母自身の存在を肯定するために、わたしを操縦して他者を否定します。

その否定の仕方は、「他者に怒りをぶつけ、他者の存在を否定する」というものです。

感情的に怒鳴るという分かりやすいものではありません。

他の人からはわたしが正論を言っていて正しい存在に見えるように、巧妙に相手を貶めます。

「わたしが正しい」

そう思わせることが絶対条件で、それだけが目的です。

6.「正しさ」がわたしを傷つけていた

猛獣に襲われているとき、わたしは自分の本当の感情を拒絶し、わたしの感情は間違っているものとして否定している実感があります。

自分で自分を否定しているんです。

わたしの正しさを認めさせているはずなのに、実は自分でわたしを否定していたんです。



わたしはただただ生きる許可が欲しくて必死に生きていて、そのために怒っていたのに、実は許可を自分から手放していたんです。

7.猛獣との出会いが教えてくれたこと

こんなふうに生きていた自分をいま振り返ってみると、とても辛く悲しい生き方をしていたな、と思います。

ただそれと同時に、というか、それ以上に「本当によく頑張った!ありがとう!」「愛おしい」と感じます。

やり方はどうであれ、とにかく生きることに真剣で、必死だった。

無自覚だったとしても、ずっと心が血を流し続け、なんども崩れ落ちていたのに、それでも生きることを諦めなかった。

8.自分を受け入れ、許すということ

自立訓練に通所しながら自分と向き合い続ける中で、わたしは猛獣という自分の中の母と出会い、その存在を認め、猛獣もわたしであることを受け入れることができました。

そうすると、わたしがどれだけ自分にも他者にも酷いことをしてきたのかを知ることができました。

それと同時に、自分の良さをたくさん見つけて、「わたしってこんな良いところがあるよね」と思えるようになりました。

9.許可なんて、最初からいらなかった

猛獣と出会い猛獣と対話し続け、自分を知り自分を受け入れ、生きることについての気付きを得ることを繰り返していくうちに、あるとき自分で自分に生きる許可を与えることができました。

というか、生きることに許可なんていらないことを実感しました。

わたしが命を懸けて求め続けていたものをやっと手に入れたと感じた瞬間、実はそんなものはそもそも存在しなくて誰も持っていないし必要ないことを知ることができたんです。

10.猛獣と向き合うすべての人へ

猛獣は、その存在を自覚していない間はわたしと他者を傷つけるだけの存在でした。

でも猛獣と手をつなぐと、猛獣はわたしを知りわたしを幸せにするヒントになってくれたんです。

「怒り」という感情の裏には、猛獣が潜んでいるということがあると思います。

これは、わたしにだけ当てはまるものではなく、たぶん全ての人に当てはまるんじゃないかなと感じています。

11.傷ついたあなたへ、伝えたいこと

自分の中に猛獣が生まれるのは、その人の責任ではないと思っています。

環境によって作られてしまう。そう感じています。

幼少期の周囲の大人の関わり方や、大人になってから苛烈な環境で強いられたという経験。人それぞれだと思いますが、決して自分の意思で自分だけで生み出すものではないはずです。

だから、自分の抑えきれない感情に振り回されて自分や他者を傷つけてしまったとしても、自分を責めないで欲しいとわたしは強く思っています。

12.生き抜いた自分に感謝を

むしろ、それだけ必死に血を流してまで自分を守るような猛獣が生まれてしまう環境の中を耐えて抗って戦って生き抜いてきた自分を褒めてあげて欲しいと思います。

猛獣は、わたしの命を守るためにわたしを襲ってくれていました。

たぶんそれは、全ての人に共通します。

だから、わたしはわたしを守ってくれたという意味で猛獣に感謝もしています。

猛獣と向き合おうとするとき、とても恐ろしく、辛く苦しくなることもあります。

だから、もしあなたやあなたの大切な人が猛獣と向き合おうとしていたら、誰かに寄り添ってもらってほしいと思います。

信頼できる人や、それを仕事にしている専門職の人たち、そしてミライワークのような自立訓練という場。

必ずどこかに寄り添ってくれる人がいますから。