2025.10.21
小さいころから「人の目を気にしすぎだよ」と言われてきた。
でも、こればっかりはスイッチのON/OFFみたいに簡単にはいかない。
信号待ちで鼻をかもうとしただけで「変に思われないかな?」と考えてしまう。
誰もそこまで見てないはず…と思いつつ、やっぱり気になってしまう。
人の目が気になるって、例えるなら自分の頭の中に監視カメラがついてる感じだ。
何か行動するたびに、そのカメラが「今の変じゃなかった?」と再生確認してくる。
例えばエレベーターの中。
目的階に着くまでの数十秒、何をしていいかわからず、スマホを見たり天井を眺めたり。
降りたあと、「変な間があったかな…」なんて振り返る。
冷静に考えると、他の人もきっと同じように自分のことを気にしてるから、私のことなんて覚えてないはず。
でもその場では、どうしても自分だけが“見られている”感覚になる。
この感覚は、SNSのせいで強化された気がする。
誰かが「今日見かけた変な人」の話を投稿してバズっていたりすると、「もし私もああやって誰かにネタにされてたら…」と考えてしまう。
たとえ現実には何も起きていなくても、心の中に不安の芽が植えられてしまう。
この話を自立訓練のスタッフさんにしたら、
「人は他人を想像以上に覚えてないよ。だって自分のこと考えるので忙しいから」
とあっさり言われた。
それを聞いたとき、「いやいや、そんな簡単に割り切れないんですけど」と思ったけど、確かに自分も道ですれ違った人の服装や仕草なんて覚えてない。
もしかして、人の目を気にしすぎるって、自分を“主人公”だと思いすぎてる部分もあるのかもしれない。
ある日、ふと思いついて、わざと少し変な行動をしてみた。
コンビニでお釣りを受け取るとき、両手で丁寧にお辞儀してみるとか、エレベーターで一番奥に行って直立不動で立ってみるとか。
結果、誰も特に反応しない。
たまに一瞬こちらを見る人がいるくらいで、あとは何事もなく時間が過ぎる。
「ほら、やっぱりそんなに見られてない」という証拠集めみたいな実験だったけど、これが意外と効いた。
もちろん、今でも人の目は気になる。
ただ、昔みたいにそれが24時間頭を占領することはなくなった。
「ちょっと見られたかも?」と思っても、「まあ覚えてないでしょ」で流せることが増えた。
自分の中の“監視カメラ”を、たまにはOFFにしても大丈夫だとわかったのは大きい。
それに、もし誰かが私を見て何か思ったとしても、それはその人の自由であって、私の責任じゃない。
人の目が気になる気持ちは、悪いことじゃないと思う。
それは周りに配慮できる優しさでもあるし、人との関係を大事にしている証拠でもある。
でも、その優しさが自分を締め付けるほど強くなると、ちょっと息苦しい。
だから私は、時々こう言い聞かせる。
「あなたのことをじっと見ている人は、鏡の中の自分だけ」
それだけで、ほんの少し、肩の力が抜けるのだ。