2026.1.13
「人はこうあるべき」
「ちゃんとしてから動くべき」
「迷うのは弱い」
「頑張れない自分はダメ」
……こういう言葉、どれか一つは心の中に住んでいませんか。
私は住んでいました。
しかもその言葉は一人暮らしどころか、親戚一同を連れてきて住み着いていました。
やかましい。
固定観念って、なんだか悪者にされがちです。
でも、私は最近「固定観念は敵じゃない」と思うようになりました。
どちらかというと、ちょっと過保護な“防具”みたいなもの。
身を守るために作られたのに、いつの間にか重くなって動けなくなることがある。
今日はそんな話です。
私は過去に自立訓練の事業所を利用していた経験があり、今は働いています。
そこに至る道のりの中で、固定観念に助けられたこともあれば、がっつり縛られたこともありました。
だからこそ、「固定観念を壊そう!」みたいな話は、あんまりしたくありません。
壊すってしんどいんですよね。
しかも反動がくる。
それよりも、「気づいて、ゆるめて、選び直す」。
このほうが現実的で、続きます。
■固定観念は「敵」じゃなく「防具」だった
固定観念って、ざっくり言うと“自分の中のルール”です。
しかも多くの場合、勝手にできたわけじゃない。
過去の経験の中で、必要に迫られて作られたものです。
たとえば、昔どこかで失敗してすごく恥ずかしい思いをした人は、
「二度と恥をかかないように、ちゃんとしてから行動しよう」
というルールを作るかもしれない。
過去に人間関係で傷ついた人は、
「波風を立てないように、相手に合わせよう」
というルールを作るかもしれない。
こういうルールって、当時は役に立つんです。
迷いを減らしてくれるし、傷つく確率を下げてくれる。
いわば“自分を守るための工夫”です。
私はここをまず認めたい。
固定観念って、意外と健気なんですよ。
「お前がもう二度と傷つかないように、俺が守るからな」みたいな顔をしている。
頼もしい。
ただ、問題はここからです。
防具って、状況が変わると重くなるんですよね。
子どもの頃に必要だった防具が、大人になった今の生活では合わない。
昔の環境で役立ったルールが、今の環境では自分の動きを止めてしまう。
「ちゃんとしなきゃ」が強すぎて、いつまで経っても始められない。
「普通はこうだから」に縛られて、本音が言えない。
「迷うのは弱い」と思って、迷いを隠して一人で抱え込んでしまう。
固定観念は、守ってくれていたはずなのに、
いつの間にか“重い鎧”になっている。
これが、しんどさの正体だったりします。
■固定観念が“生きづらさ”に変わるサイン
「これ、固定観念かも?」と気づけるだけで、少しラクになります。
じゃあ、どんなときに気づけるか。私が目安にしているサインを並べます。
①言葉が極端になる
「絶対」
「普通」
「〜すべき」
「〜じゃなきゃダメ」
こういう言葉が頭の中で増えてきたら要注意です。
極端な言葉って、思考を便利にする一方で、選択肢を削ります。
選択肢が削られると、呼吸も浅くなる。ほんとに。
②感情が荒れる
焦り、罪悪感、恥、自己否定。
このあたりが急に強くなるとき、固定観念が握っているハンドルが強すぎる可能性があります。
「私はまたダメだった」
「ちゃんとできない自分が悪い」
こういう声が大きいとき、
現実の問題以上に“ルール違反の罰”を受けている状態になりやすいです。
③行動が止まる
準備だけ増える。
考えだけ増える。
検索だけ増える。
そして肝心な一歩が出ない。
止まっているときって、怠けているというより、
脳内で「失敗してはいけない」が暴走していることが多いです。
やる気の問題じゃなくて、恐怖の問題。ここ、間違えやすいです。
④他人軸になる
自分の感覚よりも、評価・正しさ・周囲の目が基準になる。
「自分はどうしたい?」より先に「周りから見てどう?」が出てくる。
この状態だと、何を選んでも疲れます。
正解を選んだはずなのに、満足できない。
⑤人間関係が固くなる
相手の一言を「否定された」「責められた」と受け取りやすくなる。
本当はただの確認でも、心の中で裁判が始まる。
固定観念が強いと、「こう言われる=こういう意味だ」と決めつけがちで、
余白がなくなります。
このサインのどれかが出ていたら、
「固定観念が強めに働いてるかも」と疑ってみてください。
疑うだけでも、少し距離が取れます。
■付き合い方は「論破」じゃなく「距離をとる」
固定観念を相手にしていると、つい正面から戦いたくなるんですよね。
「いや、そんなの関係ない!」
「もっと自由にならなきゃ!」
みたいに。
でも私は、正面衝突はおすすめしません。
固定観念って、めちゃくちゃ頑固です。
正面から論破しようとすると、だいたい反撃してきます。
「自由でいなきゃ」も、立派な固定観念になりますからね。
固定観念の二重装甲。詰む。
なので、やるのは“距離をとる”です。
そのための手順を、順番に書きます。
手順1:固定観念に名前をつける
いきなり真面目な哲学を始めなくていいです。
むしろ、あだ名でいい。
* 「完璧じゃないとダメ思考」
* 「我慢が正義ルール」
* 「ちゃんとしなきゃ警察」
* 「普通って何委員会」
名前がつくと、「私=この考え」になりにくい。
“自分の一部”として眺められるようになります。これが距離です。
手順2:役に立っていた場面も認める
固定観念を“悪者”にしない。ここが大事です。
たとえば「ちゃんとしなきゃ」は、あなたを社会の中で守ってくれた時期があるかもしれない。
「迷ったら動かない」は、傷つく場面を減らしてくれたかもしれない。
「今は困ってるけど、昔は守ってくれてたよね」
そう言えると、固定観念は少し穏やかになります。体感として、ほんとに。
手順3:今の自分に合うか点検する(質問テンプレ)
ここはシンプルに、質問だけでOKです。
* 「それを信じると、私は楽になる?それとも苦しくなる?」
* 「今の環境でも、そのルールは必要?」
* 「もし友達が同じことで悩んでいたら、同じルールを勧める?」
ポイントは、正しいかどうかを決めないこと。
正しさの裁判を始めると、固定観念が勢いを増します。
見るべきは“暮らしやすさ”です。
手順4:例外を1つ作ってみる(小さく選び直す)
固定観念は、いきなり捨てなくていいです。
ただ、「例外」を作る。
「ちゃんとしてから動くべき」なら、
“ちゃんとしてなくてもやっていい日”を一日だけ作る。
「迷うのは弱い」なら、
“迷ってる自分をそのまま言っていい相手”を一人だけ決める。
10%だけ変える。
いきなり100%変えようとすると、反動で戻ります。
人間はだいたい、輪ゴムです。
手順5:人に借りる(支援の使い方)
固定観念が強いときって、頭の中が単線になります。
「こうに決まってる」が強すぎて、別の景色が見えない。
そういうときは、人に借りるのがいちばん早いです。
支援者でも、信頼できる人でもいい。
「これって私の思い込みかな?」
「別の見方ある?」
と聞く。
ここで大事なのは、“答えをもらう”より“視点を借りる”ことです。
自分の中のルールに風穴が空く。それだけで、行動が戻ってきます。
■おわりに:固定観念は、消すものじゃなく“着脱するもの”
固定観念って、なくせば自由になる、という単純な話ではないと思います。
固定観念があるから守られた自分も、確かにいた。
だから、消すんじゃなくて、必要に応じて着脱できるようになる。
それがいちばん現実的で、優しい道だと私は感じています。
もし最近、あなたを苦しくした「〜すべき」があるなら、
まずはそれに名前をつけてみてください。
そして一つだけ、例外を作ってみる。
たったそれだけでも、心の中の空気が少し変わります。
最後に、問いかけで終わります。
最近あなたを苦しくした「〜すべき」は、どんな言葉でしたか?
そして、そのルールは“今のあなた”にも必要そうですか?
必要なら、試しに「その固定観念の名前」も考えてみます。
頑固な同居人には、まず表札を付けるところからです。