
2026.10.20
一日の終わりに、
「今日は何ができたかな」
と振り返ることがあります。
と書くと、なんだかずいぶん前向きな習慣を身につけた人みたいですが、実際はそんなにきれいな話ではありません。
放っておくと、わたしはできなかったことばかり数えます。
あれが終わらなかった。
あの仕事、もう少し早くできたはず。
帰ったらこれをやろうと思っていたのに、結局やらなかった。
休日なら休日で、
「せっかく時間があったのに、何もしなかったな」
となる。
できたこともあるはずなのに、そちらはほとんど記憶に残りません。
仕事に行ったことも、ご飯を食べたことも、頼まれた仕事を普通に終えたことも、
「それはできて当然」
として処理されます。
便利な仕組みです。
悪かったことだけが、きれいに保存される。
以前のわたしは、自分ができたことをあまり評価していませんでした。
できたことは、できて当然。
できなかったことだけが問題。
たとえば、仕事を十個やって九個終わったとしても、わたしが気になるのは終わらなかった一個です。
九個については、
「まあ、それはやる仕事だし」
で終わる。
でも残った一個については、
「なんでできなかったんだろう」
と結構長く考えます。
九対一なのに、気分としては一対九くらいです。
今考えると、だいぶ計算がおかしい。
でも、そのころは別におかしいと思っていませんでした。
自分に厳しいというより、
「ちゃんと現実を見ている」
くらいに思っていた気がします。
できなかったことを反省するのは必要。
できたことをわざわざ褒める必要はない。
そういう感覚でした。
仕事を続けられなくなり、生活そのものが大きく崩れた時期には、それまで当たり前だったことが当たり前ではなくなりました。
朝起きる。
外に出る。
人と話す。
何かを決める。
そういう普通のことにも、かなり力が必要な時期がありました。
そのころのわたしに、
「今日は何を達成しましたか」
と聞いても、たぶん困ったと思います。
働いていない。
大きな予定もない。
何か立派なことをしたわけでもない。
でも、本当に何もしていなかったかというと、そうでもありません。
起きた。
着替えた。
少し外に出た。
人と話した。
今なら、それも「できたこと」だったと分かります。
でも当時は、そんなものを数えることに少し抵抗がありました。
「そんな当たり前のことで、自分を褒めてどうするんだ」
みたいな感じです。
昔の基準が残っていたんでしょうね。
一日働いていた自分と、家から少し外に出ただけの自分を比べていたら、そりゃ勝てません。
支援を利用する中で、できたことを見るという考え方に触れることがありました。
今日できたこと。
昨日より少しよかったこと。
そういうものを振り返る。
理屈は分かります。
でも最初は、ちょっとむずむずしました。
「朝起きられました」
「外に出られました」
と書くと、
「小学生の日記みたいだな」
と思ってしまう。
もっとちゃんとしたことを書かないといけない気がする。
資格の勉強をした。
何時間作業した。
何か成果を出した。
そのくらいでないと「できた」に入れてはいけない感じがありました。
今振り返ると、この感覚そのものが、かなり自分に厳しかったんだと思います。
できたことにまで合格基準を作っている。
面倒な話です。
最近のわたしは、「できたことを褒めよう」とはあまり考えていません。
毎晩、
「今日も仕事に行った! わたし偉い!」
と思っているわけではないです。
たぶん、わたしにはちょっと合わない。
それより、
「できたことを、なかったことにしない」
くらいがしっくりきます。
仕事で予定していた五つのうち四つ終わった。
なら、
「一つできなかった」
だけではなく、
「四つ終わった。一つ残った」
と見る。
ただ事実を全部見るだけです。
良い方向に考え直すというより、悪いほうだけ切り取らない。
そのくらい。
これなら、わたしにもできました。
自分の一日を振り返っていて気づいたのですが、わたしは体調が悪い日ほど採点基準を厳しくすることがあります。
調子がいい日に仕事が八割できれば、
「今日はまあまあ」
と思える。
でも、調子が悪い日に六割しかできなかったら、
「今日は全然ダメだった」
になる。
本当は、その日の体調を考えれば六割できたこと自体かなり頑張っているかもしれません。
でも、採点するときだけは元気な日の基準を使います。
これは、なかなかひどい試験です。
足を痛めている人に、いつものタイムで走れと言っているようなものです。
自分には、そういうことを普通にやっていました。
今は、
「今日の状態で考えたら、どうだったんだろう」
と少し考えるようにしています。
体調が悪いのに仕事へ行けたなら、それでかなり力を使っている。
予定していた全部ができなくても、途中までやれた。
人に頼れた。
それも、その日の自分ができたことです。
できたことを数えるようになったからといって、できなかったことを無視するわけではありません。
仕事なら、終わらなかったものは終わらせる必要があります。
失敗したなら、次にどうするか考えたほうがいい。
「できたことだけ見ればいいよ」
というのも、わたしには少し違います。
できなかったものは、普通にあります。
悔しいこともある。
反省したほうがいいこともある。
ただ、できなかったことを見るときに、
「だから今日は全部ダメだった」
まで広げない。
そこだけ気をつけています。
一つできなかったなら、一つできなかった。
それ以上でも、それ以下でもない。
このくらいの大きさで置いておく。
言葉にすると簡単ですが、わたしはよく勝手に膨らませます。
なので、時々縮め直します。
少し変な話ですが、できたことを数える習慣も、やり方によってはしんどくなると思っています。
「今日は三つしかできたことがなかった」
とか、
「昨日は五個あったのに」
とか。
また採点が始まる。
こうなると、何をやっているのか分かりません。
わたしも、記録をつけると真面目にやりすぎるところがあります。
毎日書かなきゃ。
ちゃんと見つけなきゃ。
前向きに振り返らなきゃ。
そのうち、「できたことを見つけられなかった自分」が追加される。
もういいです。
なので今は、毎日きっちり数えるわけではありません。
「今日ダメだったな」
と思ったときだけ、
「本当に全部ダメだったっけ」
と少し振り返る。
すると、
「いや、仕事には行ったな」
「頼まれたものは一応終わったな」
「昼休みもちゃんと取ったな」
と出てくる。
それくらいです。
以前のわたしは、一日ごとに合格か不合格をつけていたのかもしれません。
よくできた日は合格。
疲れて何もできなかった日は不合格。
でも今は、そんなに毎日きれいに採点しなくてもいい気がしています。
よくできたところもある。
できなかったところもある。
面倒で放置したこともある。
でも、妙に頑張れたこともある。
だいたい一日は、そんなごちゃごちゃしたものです。
「今日はいい一日だった」
「今日はダメな一日だった」
と一言でまとめなくていい。
そのほうが、本当の一日に近い気がします。
今でもわたしは、できなかったことのほうを先に見ます。
長年の癖なので、たぶんこれからもそうです。
でも最近は、そのあとに少しだけ、
「で、できたことは?」
と聞くようになりました。
すごいことは出てきません。
普通に仕事へ行った。
人に相談できた。
疲れたから早めに休んだ。
そんなものです。
でも、そういうものを全部なかったことにして、
「今日も何もできなかった」
と言うのは、さすがに今の自分に失礼かな、と思うようになりました。
できなかったこともある。
できたこともある。
今日のわたしは、その両方です。
最近は、それくらいの雑な採点で一日を終えるようにしています。