
2026.10.27
わたしは、予定どおりに物事が進むのが好きです。
朝に「今日はこれをやろう」と決めて、そのとおりに一つずつ終わっていくと気持ちがいい。
午前中にここまで終わった。予定どおり。
午後も順調。予定どおり。
こういう日は、少しだけ自分までちゃんとしているような気がします。
逆に、一つ予定が崩れると弱い。
午前中に終わらせるつもりだった仕事が、昼になっても終わっていない。
それだけで、
「あー、今日はダメだ」
となることがあります。
いや、まだ昼です。
一日は半分くらい残っています。
それなのに、もう総評を出している。
ずいぶん気が早いです。
本当は、
「思ったより時間がかかった」
だけなんです。
仕事をしていれば、そんなことはいくらでもあります。
やってみたら想像より複雑だったり、途中で別の仕事が入ったり、体調があまりよくなかったり。
予定を立てた時点では分からなかったことが、あとから出てくる。
でも以前のわたしは、予定が崩れると、その理由より先に、
「できなかった」
と考えていました。
そして、「できなかった」が一つあると、なぜかその日のほかのことまで巻き込まれます。
午前中の仕事が終わらなかった。
だから今日は予定どおりにできていない。
だから今日は仕事ができていない。
そのうち、
「最近ちゃんとできてないな」
くらいまで話が広がる。
午前中の一件が、最近のわたし全体を代表し始めます。
責任重大です。
今考えると、予定が崩れたこと以上に、この「全部ダメにする癖」のほうが厄介でした。
そもそも予定なんて、自分が事前に考えた予想です。
「たぶん、このくらいで終わるだろう」
「今日はこれくらいできるだろう」
それだけのものです。
ところが、自分で書いた予定表を見ると、なぜか急に絶対的なものに見えてきます。
九時からこれ。
十一時までにこれ。
午後はこれ。
書いた瞬間、予定ではなく約束みたいになる。
しかも約束した相手も自分です。
自分で予定を作って、自分で守れなくて、自分で怒る。
登場人物が一人しかいないのに、なかなか揉めています。
病気になってからは特に、「朝の予定どおりにはいかない」ということが増えました。
昨日の夜は元気だったから、明日はこれくらいできると思った。
でも朝起きると、妙に体が重い。
頭も動かない。
そういう日があります。
以前なら、
「でも昨日やるって決めたし」
と、そのまま予定を実行しようとしていました。
今考えると、昨日のわたしに今日のわたしが従っている。
今日の体調を一番知らない人の指示に従っているわけです。
なんというか、ちょっと野暮です。
予定が崩れたとき、昔のわたしはよく取り戻そうとしていました。
午前中に遅れた。
だったら午後に頑張る。
休憩を少し短くする。
作業のペースを上げる。
今日やるつもりだったものは、なんとか今日のうちに終わらせる。
そうすると、予定表だけ見れば帳尻が合います。
「ほら、ちゃんと終わった」
となる。
ただ、わたしのほうの帳尻が合っていません。
ものすごく疲れている。
帰ったあと何もしたくない。
翌朝まで疲れが残る。
予定は守ったけれど、生活全体で見るとあまり得をしていない。
こういうことを何度もやりました。
それでも当時は、「今日の予定を終わらせた」というほうを重く見ていました。
明日の疲れは、明日のわたしの担当。
ひどい引き継ぎです。
今は、午前中に予定が崩れたら、午後の予定を普通に変えることがあります。
「これは明日にしよう」
とか、
「今日はここまででいいか」
とか。
文字にすると、本当にそれだけです。
でも以前のわたしには、これが結構難しかった。
予定を減らすと、
「できなかったから諦めた」
ような気がしたからです。
なんとなく負けた感じがする。
誰にも勝負を挑まれていないのに。
最近は、少し考え方が変わりました。
朝の予定は、朝の時点で持っていた情報で作ったものです。
昼になれば、その日の体調も分かるし、仕事がどのくらい進んだかも分かる。
だったら、昼の自分が予定を作り直すほうが自然です。
「予定変更」ではなく、
「今分かっていることを使って、もう一回決める」
くらい。
こう書くと妙に理屈っぽいですが、実際には、
「あ、今日はこれ無理だな。明日でいいや」
くらいです。
そのくらい雑なほうが、わたしには合っています。
予定が崩れたとき、
「これは、本当に今日じゃないとダメなんだろうか」
と考えることがあります。
すると、意外と明日でもいいものがあります。
でも朝に予定へ入れた瞬間から、わたしの中では「今日やらなければならないこと」になっている
。
誰かから今日中にと言われたわけではない。
締め切りが今日なわけでもない。
昨日のわたしが、
「明日はこれをやろう」
と思っただけ。
なのに今日のわたしは、その命令に苦しんでいる。
昨日のわたし、そんなに偉かったっけ。
最近は、
「今日やる予定だった」
と
「今日やらないと困る」
を少し分けるようになりました。
この二つは似ていますが、わたしにとっては結構違います。
「今日やらなくても困らないな」と分かると、予定を明日に動かしやすくなる。
やらないわけではありません。
今日やらないだけです。
この「今日」が取れると、ずいぶん軽くなります。
予定どおりにいかなかった日の夜は、放っておくと反省会が始まります。
「あれもできなかったな」
「これも残ったな」
「もっとできたはずなのに」
そして最後に、
「今日はあまりいい一日じゃなかった」
となる。
以前はそれで終わっていました。
でも最近は、
「本当に全部ダメだったっけ」
と、少しだけ考えます。
予定していた仕事は全部終わらなかった。
でも一番急ぐものは終わった。
午後は予定を減らした。
そのおかげで、無理をせず帰れた。
これなら、
「予定どおりではなかった」
は本当です。
でも、
「失敗した一日」
とまで言う必要はない。
ここを分けるようになりました。
別に、
「予定が崩れたけど、結果的に素晴らしい一日でした」
みたいなところまで持っていかなくてもいいと思っています。
うまくいかなかった日は、普通にうまくいかなかった日です。
「あー、今日は思ったようにいかなかったな」
でいい。
ただ、そこへ勝手に、
「だから自分はダメだった」
まで足さない。
最近は、それだけでも十分かなと思います。
今回のテーマは「予定どおりにできなかった日の立て直し方」なのですが、書いているうちに、
「立て直す必要って、あるのかな」
とも思いました。
一度崩れた予定を、元の形へ戻そうとするから苦しくなるのかもしれません。
午前中に二時間遅れたなら、もう朝に想像していた一日とは違います。
そこから無理に元へ戻さなくてもいい。
二時間遅れた状態から、残りの時間を過ごせばいい。
今日できなかったものは明日に持っていく。
明日もできなければ、また考える。
もしかすると、そもそもやらなくていいことだった、なんてこともあります。
昔のわたしは、一日の終わりに予定表を見て、できたか、できなかったかを確認していました。
今も確認はします。
でも、予定表のほうが正しくて、そこから外れた自分が間違っている、とはあまり考えなくなりま
した。
予定も間違います。
というか、結構間違います。
人間が未来を予想して作っているものなので、まあ当然です。
予定どおりにいかなかった。
だったら、その時点からまた考える。
今日はここまで。
残りは明日。
たまには、
「今日はもういいや」
もある。
以前のわたしなら、それを立て直せなかった日だと思っていました。
今は、その「もういいや」まで含めて、立て直している途中なのかもしれないと思います。
……立て直すという言葉すら、少し大げさですね。
予定が崩れた。
少し変えた。
そのまま一日を続けた。
たぶん、本当はそのくらいの話なんだと思います。