2025.6.24
自己肯定感が低いから苦しい。自己肯定感を上げれば楽になれるはず。自己肯定感がわたしの生きづらさを解消してくれるはず。自己肯定さえできれば…。わたしは、そんなふうに思っていました。
でも、あるとき自己肯定できてから、それは「間違っていた」と気づきました。自己肯定が助けにならないという意味ではなく、「順番が違った」のです。先にやるべき大切なことがあったと実感したのです。
ある感覚を持てたからこそ、自己肯定ができたのだと、いまでは思います。その感覚とは、「自分の感情を感じ取れる感覚」です。
わたしは幼いころから、「自分の感情は間違っていて、悪いもの」という定義で生きてきました。だから、わたしは自分の感情を拒絶し、無視し、殺していました。感情に従うと、間違ったことをして怒られる──そう信じ込んでいました。
そんなふうに生きていると、自分のことが全然分からなくなります。わたしは嬉しいのか、悲しいのか、疲れているのか、なにが好きでなにが嫌いなのか──なにも分からなくなっていました。分からなくなっていることすら、自覚できていませんでした。
自分を生きている「つもり」だったけれど、心は無視され、孤独で、すさんで、傷ついて、疲れ果てていっていたのです。そして、あるとき限界を迎え、倒れました。
そこから、自立訓練を利用し始めました。これまでとは違う、「ちゃんと自分を生きる」ための方法を学ぶためです。その中で一番やってよかったこと、それが「自分の感情とつながること」でした。それが、自己肯定の土台となったのです。
自分の感情を感じ取り、認め、心地よさを基準にして生きる──そんなことを少しずつ始めました。
その中でも一番大きな取り組みは、自分の感情を書き出し、人に見せることでした。最初にやろうとしたとき、体が拒否してまったく書けませんでした。感情の存在を認めることが怖くて、体が拒絶していたのだと思います。
でも、なんとか書き始めると、今度は手が止まりませんでした。何時間も、ありのままの感情を書き続けました。
書いた感情を読み返し、それを支援者さんに見てもらいました。内容ではなく、「感情そのもの」を認めてもらうことで、わたしは初めて「自分の感情が存在していてもいい」と思えるようになりました。
そうしたことを続けるうちに、自分の感情を実感を持って感じられるようになったのです。
わたしは、人間の根源は感情にあると思っています。その人をその人らしくしているのも、感情だと思います。そして、自分の感情に寄り添うことが、自己肯定のはじまりなのだと思います。
その小さな自己肯定の積み重ねが、「自分の人生を自分が主人公として、自分らしく楽しく生きる」ことにつながっていると、今は実感しています。
だからこそ、自己肯定の前に大切なこと──「自分の心と友達になること」が、何よりも大切なんだと、今では思っています。