2025.7.22
わたしはずっと自分の「べき」を基準にして生きていました。
当てはまろうとするけれどできなくて、そんな自分を責めて否定して、わたしには生きる資格がないと絶望していました。
そして気が付けば自己否定のエリートになってました。
いろいろあっていまは違う生き方をしているのですが、べきとは違うものを基準にするようになりました。
その基準とは、「信念」です。
べき思考と信念は一見するとよく似ているけど、本質的に全く違うなと感じています。
べき思考は、恐怖から来ているように思います。
こうしないと怒られるから、そういう行動をする。
これをやったら怒られるから、やらない。
この怒られる恐怖から自分を守るために、ルールを作って自分を縛る。
ルールは、具体的な行動パターンの正解リストみたいなもので、状況に合わせてそのリストから選んで行動する、というもの。
そのルールは社会が作ったもの(本当は自分が作ったもの)。
ルールを破ったときに怒られなかったとしても、自分の中の誰かが自分を責める。
それが怖いから、誰からも求められてなくてもルールを守ろうと必死になる。
(この自分の中の誰かが誰なのかっていうのは話が長くなるので、また別の機会に)
信念は、ここちよい体験から来ているように思います。
これが大切だと感じるから、大切にするための行動をする。
これが好きだから、自然とやっちゃう。
具体的な行動パターンはなくて、抽象的なイメージ。
例えば「わたしは人の心のここちよさをなによりも大切にしたい」という抽象的な想いがあって、状況に合わせてそれを実現できる行動を考える、みたいな感じです。
信念に従わなかったからといって、誰かに怒られるわけじゃない。
でも、自分の心に嘘をつく感じがして嫌だから信念を大事にする。
べき思考は正解と不正解があって、それは他人によって作られたもの。
信念は正解や不正解がなくて、自分の心が感じたもので自分が作ったもの。
べき思考は具体的な行動と結果。
信念は行動の基になる抽象的なもの。
べき思考の目的は怒られないこと。
信念の目的はここちよくなること。
べき思考は他人軸。
信念は自分軸。
べき思考は自己肯定が遠のく。
信念を持つと自己肯定感が高くなる。
べき思考は必死に真剣に生きてきた証拠。
信念はこれから自分のためにここちよく生きる証拠。
べき思考はあなたの良さの裏返し。
信念はあなたの良さそのもの。
べき思考は苦しみの源。
信念は自分らしさと幸せの源。
べき思考は悪いものではありませんし、全ての人が大なり小なり持っていると思います。
もちろんわたしもあります。
人と関わり社会生活を送るとき、「べき」が全くなかったら人を傷つけたり自分も損をしたり傷ついたりします。
ただ、無自覚で「べき」に支配されてるといろんなことが辛くて苦しくなるから、自分のべき思考がどんなものかを知って、いま自分はべき思考で動いてるかどうかを感じ取れるようにすることが大切だと思います。
自分のべき思考に気付くことは自己肯定の始まりで、
自分の人生を自分が主人公として楽しく生きることにつながると、わたしは信じています。