2025.10.7
自立訓練に通っていたころ、わたしは何度もそんな気持ちになった。
まるで“正しさの辞書”でも持っているかのように、スタッフさんの言葉はいつも真っ直ぐで、揺るぎなくて、わたしの心にズシンと届いた。
正論は、ときに暴力的だ。
けれど、わたしが出会ったスタッフさんたちは、正論を投げつけてくるような人たちではなかった。
それでもなお、「この人の言っていることは正しい」という感覚が、わたしの中に何度も芽生えた。
それはなぜだったのか、今になって思い返すと、あの頃の自分の「状態」が関係していたように思う。
自立訓練を利用しはじめた当初のわたしは、何をどうすればいいのかも、自分がどう生きたいのかも、全然わからなくなっていた。
自分の考えや感情には一切信頼が持てず、「誰か正しい人に決めてほしい」と思っていた。
そんな時に出会ったスタッフさんの言葉は、まるで救命ボートのようだった。
「〇〇したほうがいいと思うよ」「□□を意識してみて」
たとえそれが当たり前のアドバイスであっても、わたしは「そうか、それが“正解”なんだ」と素直に受け止めていた。
いや、受け止めるというより、「すがっていた」という方が近いかもしれない。
スタッフさんに自分のことを否定されることは、ほとんどなかった。
自分の気持ちを話せば、「そう思うんだね」と受け止めてくれる。
失敗しても、「それも大事な経験だったね」と言ってくれる。
それが嬉しかった。
でも同時に、「こんなふうにちゃんと向き合ってくれて、アドバイスまでくれる人の言葉なら、きっと正しいに決まってる」と思い込みもした。
今思えば、そのときわたしは“言葉の重さ”を自分で調整する力がなかった。
だから、スタッフさんの一言一言を、100%真に受けてしまっていた。
たとえば、あるスタッフさんに「生活リズムを整えた方が、心の安定につながるよ」と言われたことがあった。
確かにその通りだ。
だけど、その言葉を聞いたわたしは、「早起きしなきゃ」「昼寝はダメ」「夜更かしは失敗」と、極端な方向に走ってしまった。
「スタッフさんが言ってたから、これが正しい」という思い込みが、自分を追い詰めていた。
ある日、「生活リズムを整えなきゃって思うほど、気が張ってしまってつらい」とポロリとこぼしたら、スタッフさんは「それなら、まずは“気楽に整える”ことからだね」と言ってくれた。
わたしはハッとした。
自分で自分を縛っていたのは、実は“スタッフさんの言葉”じゃなくて、それをどう受け取るかだったんだ、と。
「スタッフさんに言われたことがすべて正しいと感じる」
これはある意味、信頼の証かもしれない。
だけどその信頼が、「自分で考える力」を止めてしまっては、本末転倒だ。
スタッフさんもまた、完璧な存在ではない。
人間だし、その時の言葉は“ベストアンサー”ではなく、“ひとつの提案”だったりする。
わたしの人生を、100%正しく導くことなんて、誰にもできない。
それは、わたし自身にしかできないことだから。
今、わたしは社会で働いている。
そして、あの頃よりずっと、自分の感覚を信じられるようになった。
スタッフさんに言われたことを「正しい」と感じることも、もちろんある。
でもそれを「正しいかどうか」で判断するより、「自分に合うかどうか」「今の自分がどう感じるか」を基準にできるようになってきた。
これは、わたしにとってとても大きな変化だ。
かつてのわたしは、「正しさ=自分の軸」だと思っていた。
でも今は、「自分の軸があるから、正しいと思えるものも選べる」と思えている。
自立訓練のスタッフさんの言葉は、わたしの回復の道のりで大きな支えになった。
そのことに、感謝の気持ちは今でも変わらない。
ただ、「全部正しい」と思い込んでいたあの頃の自分には、今ならそっとこう伝えたい。
「それは“正しい”んじゃなくて、“ありがたかった”んじゃない?」って。
そして、スタッフさんに教えてもらった大切なことを、少しずつ“自分の言葉”にしていく今のわたしを、わたしは誇りに思っている。