2025.11.18
「期待に応えないと怒られる、見捨てられる」――昔のわたしはずっとそう思っていました。だから常に120%でやっていて、前回の成果を超え続けなければならないと信じていたんです。
心のどこかに「期待に応えられなければ存在価値がなくなる」という強い恐怖がありました。仕事をするうえでの評価が、そのまま自分の人間性の評価に直結しているように感じていました。だから少しでも手を抜いたら「自分という存在が不要だ」と思われ、見捨てられるのではないか――そんな不安が頭から離れなかったのです。
当然ながら、そんなやり方をしていると心も体もボロボロになってしまいます。100を超える力を振り絞り続ければ、どこかでガタが来るのは当然です。
それでも当時のわたしは「止まったら終わりだ」「弱音を吐いたら終わりだ」と思い込み、がむしゃらに走り続けました。
しかし、結果は惨憺たるものでした。疲弊が限界を超えて働けなくなり、結局は退職。その繰り返しです。周囲の期待に必死で応えようとしていたはずなのに、最後には期待どころか仕事そのものを手放すしかなくなる。そんな悪循環にはまっていました。
そして、双極性障害と診断され退職し、自立訓練を利用するようになりました。自立訓練の中で自分と向き合い、いろいろな気付きと変化を得て再就職してしばらくして、違和感を覚えました。
「本当に見捨てられるんだろうか?」
あるときふと、心の中に疑問が浮かびました。
「本当に期待に応えられなければ見捨てられるんだろうか?」
それまでのわたしは「期待=義務」「期待に応えられない=終わり」という思考パターンに縛られていました。でも少し立ち止まってみると、その図式が本当に正しいのかどうか、わからなくなったのです。
さらに「仮に見捨てられたとして、それって本当に問題なんだろうか?」とも考えるようになりました。
わたしの人生は会社だけで決まるわけじゃない。もし会社に見放されたとしても、それは「この職場には合わなかった」というだけのことなんじゃないか。そんなふうに考え始めました。
その頃から、意識して周りの人の働き方を観察するようになりました。すると驚いたことに、ほとんどの人は常に120%で働いているわけではありませんでした。
むしろ普段は60%くらいの力加減で、必要なときだけ全力を出す。そんな人が大多数だったのです。にもかかわらず、彼らはしっかり評価されていて、普通に仕事を続けています。見捨てられるどころか、職場に馴染んでいる。
もちろん、いい加減すぎたり、ルールを無視して勝手なことをする人は信頼を失っていました。でも、それは「常に120%でないから」ではありません。「最低限の約束を守っていないから」なのです。
そこでわたしは改めて、会社が本当に求めていることを考えてみました。
結論は意外とシンプルでした。
出社して、就業時間までそこにいて、言われたことをそれなりにやる。
それだけで十分合格ラインなんじゃないか、と。
昇進や高給を望むなら努力は必要かもしれません。でもわたしにとってそれは必須ではない。今の自分に必要なのは「会社にとどまり続けること」ではなく、「心身を壊さず生活を維持すること」でした。
そう思ったとき、やっと肩の荷が少し下りました。だから「60%くらいで十分だな」と思えるようになったのです。
さらに、こうも感じるようになりました。
「見捨てられても、別に問題ないな」と。
だって、わたしが生きる場は仕事じゃないからです。
わたしは趣味の世界で、お互いを尊重し合える仲間と出会いました。そこでは、わたしが感じる心地よさを共有し、共感し合える人たちとつながることができました。肩書や能力ではなく、ただ「一人の人間」として認められる。そんな関係の中で過ごす時間こそが、わたしにとっての“生きる場所”です。
仕事は、その生活を続けるためのお金を得る手段にすぎません。
仕事でわたしという人間の価値が決まるわけではありません。むしろ「働いてあげている」くらいの感覚でちょうどいいのかな、と今では思います。
昔のわたしは「会社に必要とされる自分」にならなければ生きていけないと思い込んでいました。けれど実際はそうではありませんでした。
会社にとってわたしは「一人の社員」にすぎず、会社はわたしにとって「生活を維持するための場所」にすぎない。お互いが対等である以上、「見捨てられる恐怖」に縛られる必要はなかったのです。
結局、わたしが勝手に「120%を出し続けなければ」と思い込んでいただけだったんです。
今は“ほどほど”で働いている自分を、まあ悪くないなと思っています。
もしあなたが今、周囲からの期待に押しつぶされそうになっているなら――そんなに全力を出し続けなくても大丈夫です。必要なのは「ずっと120%」ではなく、「必要なときに力を出せる余力」を残しておくことかもしれません。
60%くらいで働いていても、人間関係は壊れませんし、人生は続いていきます。
そして仕事以外の場所に、自分の“生きる場”を持ってもいい。
わたしにとっては趣味の世界がそうでした。あなたにとっても、別のなにかがあるかもしれません。なくても、仕事というものに対する捉え方が変わると、仕事の中に生きる場所があることに気付くかもしれません。
生きる場所を間違えなければ、「期待」という重荷は少し軽くなる――そんなふうに、今は感じています。