2026.3.17
復職一日目。
朝起きた瞬間から、胃がぎゅっと縮む感じがしました。いや、正確に言うと、起きる前から縮んでいた。目が覚めた瞬間に「今日か……」って、体が先に反応する。頭はまだ寝ぼけてるのに、体だけ既に出勤してる感じ。
玄関で靴を履く手が妙に重い。
駅までの道がいつもより長い。
電車の揺れもやたらリアル。
そして何より怖かったのが、職場の人の目でした。
復職一日目って、仕事そのものより、人の目が怖いんですよね。
「どう見られるんだろう」
「休んでた人って思われるんだろうな」
「迷惑かけたって思われてるんだろうな」
そんな想像が、頭の中でどんどん膨らんでぐるぐるまわる。
当時のわたしは、焦りもすごくありました。
早く休職前の状態に戻さないと。
元の自分に戻らないと。
ちゃんと働ける自分を見せないと。
そして、その焦りの奥には、もっと強い恐怖がありました。
早く戻さないと、見捨てられる。
いま書くと、ちょっと大げさに見えるかもしれません。
でも、当時のわたしの感覚は本当にそれでした。
「遅れたら終わり」「戻れなかったら終わり」
終わり、終わり、終わり。終わりすぎ。何回終わるんだよ、と自分で思います。
もう一つ、復職一日目の恐怖はこれでした。
また体調を崩すんじゃないか。
復職って、回復して「完全に元通り」になってから戻るもの、というより、「戻りながら整える」みたいな面があると思います。
でも当時のわたしは、その感覚が持てなかった。
「もう崩れたくない」
「二度とあの状態には戻りたくない」
そう思えば思うほど、逆に体調の変化に敏感になって、少し疲れただけで不安になる。
不安になるから体がこわばる。
こわばるから余計疲れる。
そして「ほら、やっぱりダメだ」となる。
復職初日は特にこの「ほら、やっぱりダメだ」が何度も何度も繰り返す。
職場に着いて、席に向かって歩いているとき。
挨拶するとき。
パソコンの電源を入れるとき。
何をするにも、視線が刺さる気がしました。
「絶対、冷たい目で見られてる」
「たぶん、陰で何か言われてる」
「迷惑かけたやつが戻ってきたって思われてる」
正直、その日は職場の人全員が、わたしを蔑んでいるように感じました。
実際にそんなことを言われたわけじゃないのに。
でも、わたしの中では“そうに違いない”になっていた。
いま振り返ると分かります。
あれは現実というより、わたしの恐怖が作った世界でした。
恐怖って、世界を簡単に歪ませます。しかもめちゃくちゃ説得力のある歪ませ方をしてくる。
「ほら、こう見えるでしょ?やっぱり危険だよ」って。
いまになって思うのは、実は職場の人の多くが、かなり気を遣ってくれていたということです。
「よく戻ってきたね」
「無理しないでね」
「困ったことがあったら声かけて」
「仕事手伝おうか?」
こういう言葉を、いろんな人がかけてくれていました。
たぶん、わたしが思っていたよりずっと。
でも当時のわたしは、その言葉を言葉通りに受け取れなかった。
優しさとして受け取れなかった。
むしろ、プレッシャーになっていたんです。
「無理しないでね」=勝手に無理して休みやがっておまえ迷惑、ってことだよね?
「困ったら言って」=言わないと評価下がるよね?
「手伝おうか」=この程度もできないの?って思われてるよね?
……いや、被害妄想が忙しい。
でも当時は本気でした。
わたしは、相手の言葉を“確認”ではなく“審査”として受け取っていたんだと思います。
ここからの話は、少し苦い話です。
当時のわたしは、いろんなことを人のせいにしていました。
もちろん、露骨に「お前のせいだ」と言っていたわけじゃありません。
もっと静かで、もっと根深いやつです。
「あの人がこう言ったから、わたしはこうしなければならない」
「こう言われた以上、応えないといけない」
「期待されてるから、やらないといけない」
つまり、人の言動で、自分の在り方を決めていた。
ここがすごく怖いところで、本人は「真面目にやってる」つもりなんです。
でも実態は、自分の人生のハンドルを、人に渡している状態。
そして、しんどくなる。
当時のわたしは、自分のスキルやキャパを無視して、
「求められていることには120%で応えないといけない」
という感覚だけで生きていました。
わたしの中には、こういう公式がありました。
期待される⇒応える⇒全力⇒常に上限突破
これ、続くわけがない。
人間の上限を“常に”突破したら、いつか折れます。というか普通に折れます。
折れてもなお「自分が弱いからだ」と思ってしまう。
そうすると、また無理する。
その結果、休職せざるを得ないところまで行く。
振り返ると、そこに「わたし」という心は存在していませんでした。
心の声は無視するもの。
疲れは甘え。
嫌はわがまま。
そういう扱いをしていた。
わたしは、心って人間の根源だと思っています。
その人がその人であることを決める、一番大切なもの。
簡単に捨てたり、踏みつけたりしていいものじゃない。
でも当時のわたしは、その心を捨てていました。
というより、心を持つこと自体が悪いことだと思っていた節があります。
「疲れた」って思うのはダメ。
「嫌だ」って思うのはダメ。
「怖い」って思うのはダメ。
そんなふうに、心の声を敵扱いしていた。
そりゃ、体が止まります。
体は最後に止めてくれるんですよね。「このままだと死ぬぞ」って。
休職せざるを得ないほど一生懸命に無理をしてしまう人って、
たぶん優しくて真面目な人なんだろうなと思います。
周りをよく見て、空気を読んで、責任感が強い。
「迷惑をかけたくない」と本気で思っている。
だから無理をしてしまう。
あるいは、わたしみたいに、見捨てられることに、激烈な恐怖を感じる人なのかもしれません。
そういう人が、復職一日目に焦ったり恐怖を感じるのは自然です。
間違ってるとか、悪いとか、そういう話じゃない。
むしろ普通に怖いです。あれは怖い。ほんと怖い。
ただ――
その恐怖を「正しい」と信じ込みすぎたり、恐怖に飲み込まれてしまうと、健康はどんどん遠のいていきます。
これは、かなり現実的な話です。
誰も他人の健康には責任を持てません。
誰も、わたしの健康を保証してくれません。
職場が優しくても、制度が整っていても、最終的に自分の体と心を守るのは、自分しかいない。
だから、自分自身で自分の健康を作っていくしかないんです。
ここ、冷たく聞こえるかもしれないけど、わたしには逆に希望でもありました。
「誰も保証してくれない」なら、わたしが作ればいい。
わたしのやり方で守ればいい。
しんどくなったら、休みましょう。
これは根性論じゃなくて、普通に技術です。生きる技術。
休み方はいろいろあります。
•出勤しない(休む)
•60%くらいで、ぼちぼちやる
•職場の環境を変えてもらうように相談する
•担当する仕事やお客さんを変えてもらうように相談する
「休む」と聞くと、ゼロか百かの話にしがちだけど、
途中の選択肢がたくさんあります。
特に「60%でやる」は、わたしはすごく大事だと思っています。
完璧に戻るまで待つんじゃなくて、“回復しながら働く”には、これが現実的だからです。
自分の健康が最優先です。
健康じゃないと、好きなことも、ここちよいことも、全力でできない。
仕事をするために生きてるんじゃなくて、人生を充実させるために仕事をするんだと、わたしは思っています。
だから、仕事のために自分を壊すのは、順番が逆です。
それは本末転倒というやつです。
(わたしはこれを、結構ガチでやってしまってた)
休職せざるを得ないほど、一生懸命に無理をしてきた。
だから、もうこれからは、仕事のために無理をしなくていい。
復職一日目の恐怖。
あれは、本当に怖いです。
でも、怖いのは当たり前です。むしろ怖くないほうが不思議。
ただ、怖さに飲み込まれると、わたしの心がまた消えていく。
だから、怖さは持っていていいけど、ハンドルは渡さない。
わたしの健康を最優先にする。
わたしの心がここちよくなる方向を、少しずつ増やしていく。
これからは、そういう生き方をしていきたい。
いや、していきたいというより、していく。たぶん。きっと。
(この“弱めの決意”くらいが、わたしにはちょうどいいです)
もしあなたが、復職一日目を怖いと思っているなら。
それは弱さじゃありません。
それだけ頑張ってきた証拠です。
そして、あなたの健康は、あなたが守っていい。
守らないと、誰も守れないから。
焦らなくていい。
戻るスピードより、戻り方が大事です。
いまはまず、「今日一日を終えられたら勝ち」くらいでいいと思います。