ひきこもり・職場復帰のための就労支援&自立訓練|ミライワーク広島・川崎

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【体験記52】仕事でイライラする原因|「当たり前」が通じない人に腹が立つとき

2026.5.12

1.仕事でのイライラ

仕事でよくあるイライラの一つに、こういうものがあります。

「なんでこの人は、こんな当たり前のことをしないんだ!」

社会人の常識。

義務教育を受けたなら知っているはずのこと。

考えなくても分かること。

自分にとっては当たり前で、呼吸をするみたいに自然にできる。

なのに、この人はやらない。

怠けているのか。

とんでもなく能力が低いのか。

意味が分からない。

結果、自分ばっかり負担が増える。

「不公平だ」

「なんでわたしがやらされるんだ」

そんなイライラ、ありませんか。

わたしは以前、いつもそんなふうにプリプリ怒っていました。

でもこのイライラは、疲れるだけではありません。

周りの人との関係を悪化させ、最終的に孤立を招きました。

だって、周りの人を見下して、怒ったように接するからです。

自分では正論のつもりでも、相手からすると、

「怖い」

「話しかけづらい」

「めんどくさい」

になっていく。

結果、情報も協力も回ってこなくなる。

振り返ると、あれはわたしが自分で自分の首を絞めていた時間でした。

今になって思うのは、わたしは大きな勘違いをしていたなー、ということです。

その勘違いは、

「周りの人は怠けている。できるのに、やらないだけ」

というもの。

これを信じていると、腹が立つのは当然です。

「できるのにやらない」って、こっちを舐めているように感じるし、その尻拭いが自分に回ってくるからです。

ただ、その勘違いの原因は、わたし側にありました。

それは、

「自分の能力を過小評価していた」

ということです。

2.自分の能力を過小評価していたとは?

努力して高めた能力は、自覚しやすいです。

できないところから練習して、徐々にできるようになった経験があるから、

「できなかった自分」

「できるようになった今の自分」

を比べられる。

だから「能力が上がった」と認識できます。

でも、高い能力は、努力して高くなるものだけではありません。

もともとの感性や思考の傾向、感受性の強さなどで、努力しなくても最初から高い水準の結果を出せてしまうものもあります。

本人にとっては、あたかも呼吸のようにできてしまう。

ここが落とし穴です。

努力して高めた経緯がないので、

「できなかった自分」

「できるようになった自分」

を比較できません。

そもそも「できなかった自分」が存在しない。

すると、自分の能力が客観的に見て高い、ということを自覚しにくい。

だって、無意識にやってしまうからです。

本人の感覚では「当たり前」なんです。

だから、人間はつい勘違いします。

「自分ができるなら、みんなも同じようにできるはずだ」と。

でも現実は、人それぞれ特徴があります。

生まれ持った傾向や得意さによって、人よりも高い水準で、

「論理的に考える」

「人の感情を繊細に察知する」

「正確に言語化する」

「五感で豊かに感じ取る」

「心肺機能が強い」

「早く走る」

「人前で楽しく話す」

などが“できてしまう”人がいます。

できてしまうから、それが特別な能力だと気づきにくい。

呼吸と同じなので。

この勘違いを、わたしは動物の例で理解しました。

鳥が空を飛べる。

魚が水の中で呼吸できる。

犬がかすかな匂いをかぎ分けられる。

蜘蛛が蜘蛛の巣を張れる。

どれも、その種固有の能力です。

でも、もし鳥が、

「なんでお前ら飛べないの?怠けてるの?」

と思ったら、相当ズレていますよね。

飛べないのは怠けではなく、構造として“できない”だけです。

わたしは仕事で、これに近いことをしていました。

わたしが当たり前にできることを、できない人に対して、

「できるのに怠けてやらない」

と解釈していた。

これがわたしの大きな勘違いで、その原因が「自分の能力を過小評価していた」ということでした。

3.「できない」は能力の差であって、人としての優劣ではない

「なんでそんな当たり前のことができないの?」

と思うことは、本当にたくさんあります。

想像していなかったくらい、苦手さが大きい人もいます。

そして、その中には努力不足ではなく、本当にその形では難しい人もたくさんいます。

ここで大事なのは、これは能力の差であって、人としての優劣ではない、ということです。

でも当時のわたしは、そこを混ぜていました。

能力の差を、人間としての差にすり替えて、人を評価して、見下して、失礼な態度を取っていた。

これは相手に本当に失礼だし、なにより、わたし自身の人生を豊かにするどころか、虚しいものにするだけだと思いました。

だから、わたしは、

「自分の能力は高い部分がある」

「できない人もいる」

という現実を、ちゃんと認めるようにしました。

認めると、不思議と怒りが減っていきます。

怒りの燃料って、正義感よりも「勘違い」だったりするんだなと思いました。

ちなみに、できない人をできるようにすることは、可能かもしれません。

教え方や仕組みを変えれば、できるようになることもある。

でもわたしは、相手が明確に求めていない限り、「相手をできるようにしよう」という働きかけはしません。

できるようになるか、ならないかは相手の自由だし、生き方の価値観や基準も人それぞれ違うからです。

4.いまはイライラしない。事実を前提に「自分はどうするか」を考える

いまは、わたしにとって当たり前のことができない人がいても、前ほどイライラしません。

できないなら「できない」ことを前提として、

「じゃあ、わたしはどう受け止めるか」

「わたしは、わたしのために何をするか」

を考えます。

目の前の事実を、自分の基準で裁くことはストレスの原因だと、わたしは思っています。

だから、目の前の事象をそのまま事実として受け入れる。

自分以外を変えようとして燃えるより、わたしはわたしを否定しないように、自分の選択肢を増やす。

変えるというより、今まで持っていなかった選択肢を作って、それを選べるようにする、という感覚です。

昔の人は本当によく言ったもので、まさに

「人それぞれ」

「人は人、自分は自分」

なんだなーと思います。

当たり前に腹が立つことはあります。

でも、その当たり前が本当に共有されているのか。

自分の当たり前が、実は能力なのか。

そこを一度立ち止まって見直すだけで、仕事の疲れ方も、人間関係の息苦しさも、けっこう変わってきます。