周りの人との関係を悪化させ、最終的に孤立を招きました。
だって、周りの人を見下して、怒ったように接するからです。
自分では正論のつもりでも、相手からすると、
「怖い」
「話しかけづらい」
「めんどくさい」
になっていく。
結果、情報も協力も回ってこなくなる。
振り返ると、あれはわたしが自分で自分の首を絞めていた時間でした。
今になって思うのは、わたしは大きな勘違いをしていたなー、ということです。
その勘違いは、
「周りの人は怠けている。できるのに、やらないだけ」
というもの。
これを信じていると、腹が立つのは当然です。
「できるのにやらない」って、こっちを舐めているように感じるし、その尻拭いが自分に回ってくるからです。
ただ、その勘違いの原因は、わたし側にありました。
それは、
「自分の能力を過小評価していた」
ということです。
2.自分の能力を過小評価していたとは?
努力して高めた能力は、自覚しやすいです。
できないところから練習して、徐々にできるようになった経験があるから、
「できなかった自分」
「できるようになった今の自分」
を比べられる。
だから「能力が上がった」と認識できます。
でも、高い能力は、努力して高くなるものだけではありません。
もともとの感性や思考の傾向、感受性の強さなどで、努力しなくても最初から高い水準の結果を出せてしまうものもあります。
本人にとっては、あたかも呼吸のようにできてしまう。
ここが落とし穴です。
努力して高めた経緯がないので、
「できなかった自分」
「できるようになった自分」
を比較できません。
そもそも「できなかった自分」が存在しない。
すると、自分の能力が客観的に見て高い、ということを自覚しにくい。
だって、無意識にやってしまうからです。
本人の感覚では「当たり前」なんです。
だから、人間はつい勘違いします。
「自分ができるなら、みんなも同じようにできるはずだ」と。
でも現実は、人それぞれ特徴があります。
生まれ持った傾向や得意さによって、人よりも高い水準で、
「論理的に考える」
「人の感情を繊細に察知する」
「正確に言語化する」
「五感で豊かに感じ取る」
「心肺機能が強い」
「早く走る」
「人前で楽しく話す」
などが“できてしまう”人がいます。
できてしまうから、それが特別な能力だと気づきにくい。
呼吸と同じなので。
この勘違いを、わたしは動物の例で理解しました。
鳥が空を飛べる。
魚が水の中で呼吸できる。
犬がかすかな匂いをかぎ分けられる。
蜘蛛が蜘蛛の巣を張れる。
どれも、その種固有の能力です。