
2026.10.6
体調が落ちているときのわたしは、自分にかなり厳しくなります。
仕事で少しミスをすると、
「今日は確認が足りなかったな」
では終わりません。
「やっぱりわたしは仕事ができない」
くらいまで行く。
誰かに少し手伝ってもらうと、
「助かった」
より先に、
「迷惑をかけた」
が出てくることもあります。
そして一番困るのは、そのときのわたしが、自分を責めているつもりがあまりないことです。
むしろ、
「いや、これは冷静に考えた結果だから」
くらいに思っています。
これがなかなか厄介です。
抑うつが強くなると、自分のことを悪く考えやすくなります。
……と書くと、ものすごく簡単な話に見えます。
でも、その真ん中にいると、
「今は体調が悪いから、そう考えているんだな」
とはなかなか思えません。
むしろ逆です。
「今まで都合よく考えていただけで、やっと現実が見えた」
みたいな感じになります。
普段は、
「まあ、それなりに仕事はできているかな」
と思っている。
でも体調が落ちると、
「いや、周りが気を遣ってくれているだけじゃないか」
となる。
普段は、
「多少迷惑をかけることくらい誰にでもある」
と思える。
でも、そのときは、
「わたしは迷惑ばかりかけている」
になる。
しかも、その考えには妙な説得力があります。
過去の失敗まで次々と思い出して、
「ほら、やっぱり」
と証拠まで集めてくる。
こういうときの頭は本当に働き者です。
できれば別のところで頑張ってほしいんですが。
調子がいいときなら、仕事で一つ失敗しても、
「ここを間違えた」
で済みます。
でも、抑うつが強いと、
「ここを間違えた」
が、
「仕事ができない」
になり、
そのうち、
「わたしはダメな人間だ」
くらいまで広がります。
話が大きい。
最初は仕事の話だったのに、いつの間にか人格審査になっています。
たぶん、わたしは昔からこういう広げ方をしやすかったのだと思います。
一つ失敗すると、
「またやった」
となる。
「また」という言葉が入ると、過去の失敗も全部召集されます。
さらに、
「これからもきっと」
まで入ると、未来の失敗まで参加してくる。
一回のミスなのに、過去と未来から援軍が来る。
そりゃ勝てません。
最近は、この流れに気づいたら、
「ちょっと話が大きくなってるな」
と思うようにしています。
それだけで止まることもあれば、止まらないこともあります。
まあ、止まらない日のほうが多いかもしれません。
「自分を信じよう」という言葉があります。
わたしも、この言葉は嫌いではありません。
でも、自分の感覚を何でもそのまま信じればいいのかというと、わたしの場合はちょっと違いました。
体調によって、同じ出来事の見え方がかなり変わるからです。
たとえば、職場で誰かの返事が少し短かったとします。
調子がいい日は、
「忙しいのかな」
くらいで終わります。
でも調子が悪いと、
「何か怒らせたかな」
になる。
さらに悪いと、
「やっぱり嫌われているんじゃないか」
まで行く。
相手の返事は同じです。
変わっているのは、わたし側です。
こういう経験を何度もしていると、
「今の自分が感じていること」と、
「実際に起きていること」は、
少し分けておいたほうがいいんだなと思うようになりました。
自分を疑い続ける、という意味ではありません。
ただ、
「そう感じているのは本当。でも、その解釈まで本当かはまだ分からない」
くらいです。
今のわたしは、抑うつが強い日に自分へ大きな評価を下さないようにしています。
「わたしは仕事ができない」
と思っても、
「はい、決定」
にはしない。
「今日はそう感じている」
くらいの場所に置いておきます。
ここは、わたしにとって結構大きな違いです。
昔は、自分の中に出てきた言葉を、そのまま判決にしていました。
「迷惑をかけている」と思えば、本当に迷惑な人間。
「何もできていない」と思えば、本当に何もできていない人間。
今は、判決を少し待つ。
別に、
「そんなことないよ。わたしは素晴らしい」
と反対側へ振る必要もないと思っています。
体調が悪い日にそれをやっても、
「いや、そんなわけないだろ」
と自分から反論されるだけです。
なので、
「今は保留」
でいい。
自分に対する評価も、保留していい。
これを知ってから、少し楽になりました。
それでも頭の中で話が大きくなる日はあります。
そんなとき、わたしはたまに、起きたことをできるだけ小さく言い直します。
「今日は全然仕事ができなかった」
ではなく、
「予定していた一つの仕事が終わらなかった」
くらいにする。
「また人に迷惑をかけた」
ではなく、
「一つの作業を手伝ってもらった」
にする。
こうすると急に地味になります。
そして、地味になった出来事を見ると、
「あれ、人生を悲観するほどではないか」
と思えることがあります。
もちろん、思えない日もあります。
そういう日は、
「今日は無理か」
で終わりです。
何とか前向きに考え直さなきゃ、とまで頑張らない。
それをやり始めると、今度は「前向きに考えられない自分」が追加で責められるので。
なかなか面倒です。
自分の評価がかなり悪くなっているときは、人に聞くこともあります。
「最近、仕事の様子どうですか」
と、職場で相談できる人に聞いてみたり。
体調のことなら、主治医や支援者に話したり。
そこで、
「いや、そこまで変わってないですよ」
と言われることがあります。
その瞬間、
「本当かな」
と思います。
せっかく聞いたのに。
我ながら面倒くさいです。
でも、すぐ信じられなくても、人の意見を一つ置いておくことには意味があります。
わたしの中では、
「わたしは全然ダメ」
という意見が一票。
そこに、
「周りから見ると、そこまでではない」
という一票が入る。
まだ多数決では負けています。
でも、ゼロ対一よりはいい。
少なくとも、
「自分の見方だけが唯一の事実ではない」
という隙間ができます。
その隙間に、少し助けられることがあります。
体調が戻ってから振り返ると、
「なんであんなに自分を責めてたんだろう」
と思うことがあります。
仕事は普通に続いている。
誰かに怒られたわけでもない。
何か取り返しのつかないことをしたわけでもない。
それなのに、あの日のわたしは、
「もうダメだ」
くらいに思っていた。
不思議です。
でも、逆に言えば、元気なときのわたしから見れば不思議に思えるくらい、体調によって自分の見え方は変わるということでもあります。
だから今は、調子が悪い日に出てきた自己評価を、元気になった自分にも見てもらうようにしています。
「昨日のわたしはこう言ってたけど、今日のわたしはどう思う?」
という感じです。
昨日のわたしも間違い。
今日のわたしが正解。
そういう話でもありません。
ただ、両方の意見を聞く。
そのほうが、少し公平です。
今でも、
「わたし、何もできてないな」
と思う日はあります。
たぶん、これからもあります。
そういうときに、昔のように必死で打ち消すことはあまりしなくなりました。
代わりに、
「そう思うくらい、今しんどいのかな」
と考えることがあります。
これだけでも、少し話が変わります。
「自分はダメだ」
という人格の問題だったものが、
「今、体調が落ちているかもしれない」
という状態の話になる。
もちろん、本当に反省したほうがいいこともあります。
失敗したなら謝る。
改善できることがあるなら直す。
そこまで全部、体調のせいにしたいわけではありません。
でも、一つの失敗から自分の存在全部を否定するところまで行く必要もない。
最近は、その線だけは少し守れるようになってきました。
抑うつが強いときのわたしは、自分についていろんなことを言います。
「ダメだ」
「迷惑だ」
「何もできてない」
かなり言います。
昔は、そのたびに全部まともに聞いていました。
今は、
「はいはい。今日はそういう感じね」
と、少しだけ距離を取ることがあります。
完全には無視しない。
でも、全部は信じない。
自分の声なのに、少し疑って聞く。
なんだか変な話ですが、わたしにはそのくらいがちょうどいいみたいです。