
2026.9.29
体調が悪い日は、分かりやすいです。
朝から体が重い。仕事に行くのがおっくう。人と話すのも疲れる。
「ああ、今日は調子が悪いな」
と思う。
困るのは、むしろ元気な日のほうです。
朝から頭がよく動く。仕事も進む。人と話すのも楽しい。
普段なら、
「今日は調子いいな。よかった」
で終わる話です。
でも、双極性障害と付き合うようになってから、わたしの中では、そう簡単には終わらなくなりました。
元気なのはうれしい。
でも、
「これ、ほんとにただ元気なだけかな」
という声が、ちょっと遅れて出てくる。
毎回ではありません。
でも、ときどき出てきます。
面倒です。
病気になる前のわたしにとって、体調はかなり単純なものでした。
動けるなら調子がいい。
たくさん仕事ができるなら、なおいい。
疲れていないなら、まだやれる。
そんな感じです。
今考えると、「調子がいい」というより、「どれだけ動けるか」を見ていたのかもしれません。
朝から仕事がどんどん進むと気持ちがいい。
普段なら面倒な作業まで片づく。
誰かに頼まれたことも、
「それもやりますよ」
と軽く引き受けられる。
そんな日は、自分でも少し頼もしい。
「お、今日のわたし、なかなかやるじゃん」
くらいに思います。
そして、調子に乗ります。
文字どおり。
もう一つやる。
もう少しやる。
休憩を後回しにする。
仕事が終わったあとにも何かやりたくなる。
その瞬間は全然つらくないので、止める理由が見つかりません。
むしろ止めるほうが変な感じがします。
「こんなに元気なのに、なんで休むの?」
という話になる。
昔のわたしなら、そのまま行けるところまで行っていました。
ところが、次の日になると妙に疲れていることがあります。
昨日あんなに元気だったのに、今日は何もしたくない。
朝起きて、
「あれ?」
となる。
昨日のわたしと今日のわたしが、同じ人とは思えない。
この感じを何度か経験して、
「昨日は調子がよかった」
だけでは説明できないこともあるんだな、と分かってきました。
調子がいいから動けた。
それは確かです。
でも、動けたからといって、動いた量が自分にちょうどよかったとは限らない。
ここが、わたしにはなかなか分かりませんでした。
「できる」と「やっても大丈夫」は、同じじゃない。
今なら分かります。
でも、その日の朝、頭がよく回っているわたしに言っても、たぶん聞きません。
「いや、今日めちゃくちゃ元気だけど?」
と言うと思います。
元気なわたしは、わりと強気です。
以前は、健康というものを、体調が上のほうにある状態だと思っていました。
元気が50より80のほうがいい。
80より100のほうがいい。
何となく、そんなイメージです。
でも、双極性障害と付き合ううちに、健康ってそういうものでもないのかもしれないと思うようになりました。
元気が100あることより、60くらいの日がしばらく続くほうが、わたしには楽なことがあります。
……数字にすると急に怪しい話になりますが。
言いたいのは、すごく元気な一日より、普通の日が何日も続くほうが安心するようになった、ということです。
朝起きて、普通に仕事へ行く。
仕事をして、ちょっと疲れて帰る。
ご飯を食べて、お風呂に入って、眠る。
次の日も、だいたい同じ。
書いていて、ものすごく地味です。
でも今のわたしは、この地味さがけっこう好きです。
何か特別にうれしいことがあるわけでもない。
絶好調でもない。
でも大きく崩れない。
昔なら物足りないと思っていたかもしれません。
今は、
「うん、今日も普通だった」
と、ちょっと安心します。
調子が上がっているときに難しいのは、単に活動量が増えるだけではありません。
わたしの場合、頭がよく回っている感じがすると、自分の考えまで妙に正しく感じることがあります。
「あれもできそう」
「これもやってみたい」
「今ならいける」
普段なら一度考えることを、すぐ決めたくなる。
そして、そのときのわたしには、ちゃんと理由があります。
無茶をしているつもりはありません。
むしろ、
「今のわたし、すごく合理的」
くらいに思っている。
これが厄介です。
あとで振り返ると、
「なんでそんなに急いで決めたんだろう」
と思うこともあるのですが、その瞬間は急いでいる感じがありません。
だから最近は、調子がいい日に何か大きなことを思いついても、
「それ、明日もやりたいかな」
と一回置くようにしています。
翌日もやりたければ、たぶん本当にやりたい。
翌日にはどうでもよくなっていたら、
「昨日のわたし、ずいぶん盛り上がってたな」
で終わります。
全部防げるわけではありませんが、少なくとも少し笑えます。
今は以前より、自分の状態を見るようになりました。
とはいえ、元気な日に休むのは今でもあまり得意ではありません。
疲れている日に休むのは分かります。
体が重い。
眠い。
頭が働かない。
だったら休もう、となる。
でも元気な日に、
「今日はここまでにしよう」
と止めるのは、ちょっともったいない。
まだできるのに。
まだ楽しいのに。
せっかく調子がいいのに。
そう思います。
だから最近は、「疲れたから休む」ではなく、「疲れ切らないために終わる」という感覚を少しずつ覚えています。
まだやりたい。
もうちょっとできる。
そのくらいで終える。
正直、あまり気持ちよくありません。
中途半端です。
でも、次の日にまた続きをやれるなら、それでいいのかもしれない。
昔のわたしは、今日という一日だけを見ていました。
今は、明日のわたしまで少し視界に入れるようになりました。
ただ、双極性障害だからといって、元気な自分を毎回疑うのも嫌です。
楽しい。
「これは大丈夫?」
やる気が出る。
「上がってない?」
仕事が進む。
「ちょっと危ない?」
こんなことをずっとやっていると、元気でいることそのものが怖くなります。
わたしも一時期、そんな感じがありました。
せっかく気分がいいのに、その気分を横から分析している。
なんか嫌です。
病気と付き合うために生活しているのか、生活するために病気と付き合っているのか、分からなくなります。
だから今は、元気な日はまず喜ぶようにしています。
「あ、今日は調子いいな」
それでいい。
そのあと、ときどき確認する。
最近ちゃんと眠れているか。
仕事を途中でやめられているか。
予定を急に増やしていないか。
まあ、そのくらいです。
四六時中、自分を監視するのはやめました。
双極性障害と付き合うようになって、健康という言葉のイメージが変わりました。
以前は、元気いっぱいで、何でもできる状態。
今は、
「今日もまあ普通だったな」
という状態です。
ちょっと疲れる。
ちょっと面倒なこともある。
仕事で嫌なことがあれば腹も立つ。
休みの日には何もしたくないこともある。
でも、次の日にはだいたい戻っている。
そんな感じです。
すごく元気ではない。
でも、ちゃんと生活が続いている。
今のわたしには、そのほうが健康に見えます。
もちろん、調子がいい日はうれしいです。
仕事が進めば気持ちいいし、やりたいことがたくさんある日も楽しい。
ただ、その元気を一日で全部使い切らなくてもいい。
元気を大きくするより、元気なまま明日まで持っていく。
そんなことを考えるようになりました。
病気になる前のわたしが聞いたら、
「ずいぶん地味になったな」
と言うかもしれません。
たぶん、そのとおりです。
でも今は、その地味さがけっこう気に入っています。
何でもできそうな日より、
「今日も普通に終わったな」
と思える日。
双極性障害と付き合う中で、わたしが見つけた健康は、どうやらそのあたりにあるみたいです。